三大紬
福岡県筑紫野市二日市西と福岡市中央区春吉
長崎県佐世保市の常設教室や
福岡県、佐賀県、長崎県内の公民館等で初級無料着付け教室を開催している
「きもの装美着付学院」です。
今回は紬についてのお話ですが、その中でも三つに絞ってお話したいと思います。
かつては、どんなに高価なきものでも紬は普段着用でしたが、
今では洒落着として活躍しています。
紬は、あたたかな着心地のものも、ひんやりとした感触のものもあります。
糸の種類によって、また、織り方によって風合いが変わってきます。
【目次】
・結城紬(茨木県結城市)
・大島紬(鹿児島県奄美大島)
・牛首紬(石川県白山市)
・まとめ
【結城紬(茨木県結城市)】
結城紬とは、茨木県結城市を中心に、鬼怒川沿いの町で生産されている絹織物です。
結城紬の歴史は、
奈良時代に常陸国から朝廷に献上されていた絁(あしぎぬ)といわれています。
その後、常陸紬と呼ばれるようになり鎌倉時代には、領主の結城氏のもとで栄えたことから、
結城紬の名が定着しました。
見た目が質素で丈夫なことから武士に愛され明治の後半には、
縮織りや絣製織技術の高まりとともに、女性のおしゃれ着へと次第に変化していきます。
大正時代には、化学染料による鮮やかな色のきものが多く作られ、
結城でも、昭和初期にかけて絣による柄つくりの技術が発達し、
手の込んだ柄表現の反物が多く作られるようになったそうです。
重要無形文化財保持者の高い技術で織られた本場結城紬は着るほどに身体に添う憧れの紬です。
【大島紬(鹿児島県奄美大島市)】
大島紬とは、奄美大島で伝統工芸品として作られる織物で、
始まりは、七世紀ごろともいわれています。
染色は、古代染色と同じ技法で奄美に自生するテーチ木(シャリンバイ)と、
鉄分を含む泥土でこげ茶色に発色させ手織りさせたもの、
これが、現在の大島紬の染色技法の源流と考えられているそうです。
最初は、屑繭や真綿などを紡いだ糸で作られていたが、
生産拡大の中で大正時代には、ほぼ、すべての製品が絹糸で作られるようになりました。
大島紬は、フランスの「ゴブラン織」イランの「ペルシャじゅうたん」と並ぶ
世界三大織物に数えられています。
大島紬は、島民の人たちの愛用品であったが江戸幕府の支配下になった際、
貴重品として注目され薩摩藩の状納品となりました。
それに伴い、庶民が身に着けること禁止する「着用禁止令」が下されて、所持することも禁止されたが、
そのような状況にあっても自分で織った紬を手元に残しておきたい。
という思いが庶民のなかにあり、
ある時、役人の取り調べにあった農家の主婦が、自分のきものをそっと泥土の中に隠したという。
隠した紬を取り出して洗ってみると、美しい光沢のある黒に染まっていたという。
これが、泥染めの始まりともいわれているそうです。
優雅な光沢を持ち、しなやかで軽くシワになりにくいという特徴があり、
白大島や草木染め大島は、春に着たい軽やかなあじわいです。
【牛首紬(石川県白山市)】
牛首紬は、石川県の県南に位置する白山の麓の白峰村と鶴来町で織られている紬です。
平家の落人伝説にもあるこの地では、
古くから養蚕と手織りが行われていましたが、商品化されたのは江戸初期だそうです。
釘にひっかけても破れない堅牢な紬という意味で、別名釘抜き紬とも呼ばれています。
牛首紬の特徴は、二匹の蚕が入った特殊な玉繭から手作業で手引きした玉糸を緯糸に使用しています。
玉繭は糸を引くのが難しいため、従来はくず繭とされていました。
が、職人の熟練の技によって直接糸を掻き出すことができ、
さらに手挽きしたことでいとに弾力が生まれ丈夫な織物を生み出すことができるようになったそうです。
耐久性に優れながらも通気性や肌ざわりのよさ、
美しい光沢があることも多くのひとに愛される紬の一つです。
【まとめ】
いかがでしたでしょうか。それぞれに特徴があり、一枚は欲しいきものです。
ご閲覧ありがとうございました。
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