木綿と絣
福岡県筑紫野市二日市西と福岡市中央区春吉
長崎県佐世保市の常設教室や
福岡県、佐賀県、長崎県内の公民館等で初級無料着付け教室を開催している
「きもの装美着付学院」です。
今回は『木綿と絣』についてのお話です。
絣とは織物の技法の一つで、木綿は植物から採れる繊維です。
真綿は蚕の繭から作られる繊維のことです。(紬糸)
紬とは、紬糸を使って織られたきものやその生地です。
今回は、たくさんあるなかの一部ですが、木綿と絣についてお話したいと思います。
目次
・木綿と絣
・伊予絣(愛媛県)
・久留米絣(福岡県)
・松阪木綿(三重県)
・備後絣(広島県)
・まとめ
【綿と絣】
木綿は5~6000年の歴史がありますが、
日本で綿花を栽培し木綿布を織り始めたのは年ほ500年ほど前からです。
江戸時代になると、
松阪(三重)三河(愛知)真岡(栃木)河内(大阪)博多や小倉などが木綿の産地となり、
麻に代わって浴衣や普段着の素材として、用いられるようになりました。
江戸後期になると、それまでの縞や格子柄の他に、
絣柄が織られるようになって庶民の衣生活が豊かになりました。
絣とは、織物の技法の一つで絣糸、
すなわち前もって染め分けた糸を経糸、緯糸または、その両方に使用して織りあげ文様を表すものです。
この技法を絣と呼ばれています。
布を織り上げる際に
現れるかすかな模様のズレがかすれて見えることから絣と呼ばれている説もあります。
絣は、肌に添う風合いと素朴な色柄が着る人、
見る人を和ませるものとして愛好者が増えています。
松阪木綿(三重県)
松阪木綿は、三重県松阪市周辺で生産される木綿です。
全国的に有名になったのは江戸初期の元禄年間、
以来この縞木綿は「松阪嶋」と呼ばれ江戸庶民に愛用されました。
当時、国産の縞といえば横縞が多かった中で、
きりっとした藍の直線的な縦縞は非常に新鮮に映ったようです。
染色は藍染が基本で、多様な藍色の縞模様が特徴です。
備後絣(広島県)
備後絣は、広島県福山市や芦田町で生産されている絣です。
伊予絣、久留米絣とともに日本三大絣の一つともされています。
江戸時代末期に福山市芦田町の富田久三郎が考案したのが始まりで、
井桁絣を織り出して商品化しました。明治半ばには、
機械括り(経糸を機械で作る方法)が考案されました。
吸湿性に優れているので夏は涼しく、また冬は繊維の中心部が空洞になっているので暖かい。
他地域の絣と比べてサラリとした感触で、
少し空気を含んだような木綿ならではの柔らかい風合いがあります。
伊予絣(愛媛県)
伊予絣は愛媛県松山市で生産されている絣で久留米絣、備後絣と並ぶ日本の三大絣の一つです。
江戸時代、木綿の栽培が盛んで当時、婦女子は農作業の合間を見て紡いだそうです。
各家庭で綿織物が織られていましたが、ほとんどが藍無地か縞や格子でした。
柄物は、松山縞や伊予縞と称され商われていました。
一方、絣柄は江戸時代後期、鍵谷カナという女性が、茅葺き屋根の吹き替えの時に見た、
押し竹を縛った跡に心惹かれ工夫して織り上げたといわれています。
伊予絣の特徴は、柔らかさと耐久性です。
細い糸で織られているため、柔らかく肌に良く馴染み着心地は最高です。
【久留米絣(福岡県)】
木綿絣といえば久留米絣といわれるほど有名なこの絣は、
江戸時代後期に井上伝という十二歳の少女の手で考案されました。
当時の久留米藩は、木綿と藍の産地で農家の副業として藍木綿が織られていました。
着古した木綿の一部が色落ちして白い斑になっているのを見て、
その布をほどいて絣糸の着想を得たと伝えられています。
白い模様が入ったこの藍木綿はたちまち評判になり、
近郊からこの技術を学ぶため人々が集まってきて広がっていきました。
久留米絣は濃紺、浅葱、白がすっきりと目立つ縦緯絣、
簡素で丈夫という江戸以来の定評のまま現代の洒落着になっています。
【まとめ】
木綿絣は気軽に着られるきものです。
合わせる帯は名古屋帯、半幅帯など金糸銀糸が入っていないおしゃれ袋帯もいいですね。
お手入れも簡単です。カジュアルに着こなしてほしいです。
絣を求めてそれぞれの土地にお出かけされてみてもいいですね。
ご閲覧ありがとうございました。
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